札幌の花とカラーのサロン アトリエ FLORET R
フローラルカラーセラピスト森理恵です。
当ブログのご訪問ありがとうございます。
30年近くの花生活を振り返り、今までの歩みを綴っています。
花の仕事をすることになった きっかけや経緯のご紹介です。
どうぞ、ご一読下さい。
こちらはその⑱です。
これより前の投稿は、花との歩み ←こちらからご覧下さい。
先生の手は魔法の手
驚きのオファーを頂いた後の2度目のアレンジメントレッスンも
若先生が手を入れて下さると花たちが生き生きと輝きだし、作品がグッと引き立ちました。
例えそれが、ほんの数ミリ上下左右どちらかに動かしただけであっても、仕上がりが全く違います。
先生の手は魔法の手
回を追うごとに、その魔法を目の当たりにして、目から鱗が落ちまくりました。
その度に、リスペクトの気持ちが大きくなって、憧れの気持ちが増えていきました。
もっとステキに生けられるようになりたい
もっと上達したい
では、どうしたら上達できるのだろう???
そう考えた時に出た答えは
『もっと沢山生ける=経験値を増やす』でした。
先生と自分の決定的な違いは、お花との係わり方(経験値=数)だと感じたのです。
勿論、感性の部分も大きく作用するでしょう。
これは、何の世界であってもそうだろうと思います。
でも、先ずは経験を積むことで、色々な技や理論を理解出来ると考えました。
何より、お花は、同じ品種であっても1本1本の花の向きや表情、咲き加減、枝つき(枝ぶり)などが違い
毎回、同じことをしようと思っても、全てが違うものなのです。
以前会得したものが活かされる場合もあれば、全く通用しないこともあります。
言い換えれば、その都度新しい発見があり、やればやるほど技を編み出すことが出来るのです。
「こうしたい!」という思いがあれば「どうすれば出来るのか?」と考えて、実践します。
それでも、どうしていいか分からにときには、先生がお知恵を下さいます。ありがたいことです。
『学ぶ』の語源は『真似る』です。
でも、真似る前に自分で試してみるとうことをさせてくれた先生に心から感謝しています。
分かるためには、分からない体験を沢山することが必要なのですね。
失敗は成功のもと…とも言えるでしょう。
もっと言えば、失敗に思えたことも、実は成功だったということになるのです。
天才と秀才の違い
世に名前を遺す人、輝かしい功績を収める人は天才や秀才と呼ばれる人たちです。
得意のGoogle検索で調べてみました。
↑すぐに調べる(ググる)私を、心友は『ググりえ Googlerie』と命名してくれました(笑)。
ありがとう心友よ♡
以下、wikiより
天才(てんさい)とは、天性の才能、生まれつき備わった優れた才能(生まれつき優れた才能を備わった人物)のことである。天才は、人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指す。
秀才(しゅうさい)とは、常人より秀でた才能を持っている人物や、他人よりも才能が秀でている人物の呼称である。
それは、特に訓練によるものや、周囲からの良い影響によるもの、当人の持っている素質などにより、優れているものとされる。
勿論、私は天才ではありませんし…かと言って、秀才とも言えませんでした。(今も秀才かどうかは?w)
でも、上記の定義に則れば、努力次第で人は秀才になれるということになります。
当時の私は、そんなことを真剣に考えていたわけではありません。
ただただ、お花の世界が素敵で、楽しくて♪
もっとステキに生けられるようになりたい
もっと上達したい
この思いだけを抱いていました。
思いは招くと言いますが、
その強い思いが『驚きのオファー』を引寄せたのかもしれません。
「その思いを叶えてあげるよ!」と大先生と若先生を通じて、神様に言われたような気がしました。
つづく。