このところ、日本列島は台風や地震、大雨などの災害に見舞われ続けています。

日頃から『正しい時に正しいことは起こる』という考え方をしているので、この災害にも私達日本人を始め、世界が気づかねばならない大きな意味があるのだろうと思わざるを得ません。

私は生まれも育ちも北海道、生粋の道産子です。
今までに大きな台風に遭遇したことは記憶に乏しく、子供の頃に大雨で増水した川を見てコーヒー牛乳みたいだな…と思ったことくらいのものです。(子供のころから呑気です。)

今までに体験した大きな地震

釧路沖地震

1993年1月15日20時06分に起きた釧路沖地震 震度5を中標津町で体験しました。
人生初の大きな地震体験だったので、対処法が分からず、築30年以上の古い公宅の激しい揺れの中、宝物の食器を守りたい一心で食器棚を必死で押さえていたという、今思えば自殺行為に近いことをしていました。

激しい揺れに耐えかねて「逃げるぞっ!」という夫に「嫌だ! 食器棚が倒れたら食器が壊れるっ!!」と切迫した一瞬のやり取りの後「好きにしろ! 俺は逃げるからな!」と出て行く夫を横目に見送り、根性で揺れと格闘しながら「お願い! 収まって!!」と心の中で祈るばかりでした。
思いが通じたのかどうかは分かりませんが、激しい揺れは終息していきました。
食器棚の倒壊は防ぐことが出来たので、食器の被害は半分くらいで済んだのは不幸中の幸いだったと思っています。
たまたま怪我もなく無事だったとは言え、これは絶対にしてはいけない行為だったと後で深く反省しました。

釧路沖地震での被害は以下の通り。
マグニチュード7.5 震度6
■死者2名、負傷者966名
■全壊53棟、半壊254棟、一部損壊5311棟、その他51棟。

北海道南西沖地震

更に、同年1993年7月12日22時17分に起きた北海道南西沖地震が起き、その年の4月に転勤した先の小樽で震度5を体験しました。
流石にこの時は食器棚を押さえることはなく(中標津の公宅よりも幾分新しい公宅だったのと間取りの関係上、大丈夫だとの判断もあり)早目に外に逃げました。
やはり、人は体験から学習するものですね。

翌朝、家の隣の建物の壁に大きなヒビが入っているのを見つけて驚き、何より奥尻島の津波の高さと被害の大きさに今までにない恐怖を感じました。

北海道南西沖地震での被害は以下の通り。
マグニチュード7.8 震度6
■死者230人(青森の1人含む)、行方不明者29人、負傷者323人。
■全壊601棟、半壊408棟、一部損壊5490棟、焼失192棟、浸水455棟、その他735棟。


そして、今回の胆振東部地震が2018年9月6日3時7分に起きました。

もうすぐ1カ月が経とうとしていますが、昨日、一昨日と札幌では震度3の地震が続き、その度に家族に向かって「大丈夫? 大丈夫だから! 大丈夫!!」と言いつつ、自分にも言い聞かせています。

震源地近隣では、比にならないほどの余震が続き、心も体も疲弊されていることと思います。
犠牲になった人々やそのご家族の悲しみは計り知れませんが、1日も早く平穏な暮らしが出来るようになることを祈ってやみません。
心よりご冥福をお祈りします。

 


今回のことで、色々な思いや気づきがありました。
長くなりましたので、分けて書こうと思います。